東北本線の支線のうち、田端信号場駅と北王子駅を結ぶ貨物線は北王子線と呼ばれまています。今回は北王子線の王子~北王子間の配線調査をし、合わせて前回訪問時の貨車入換の模様をレポートします。
東北本線の田端信号場~北王子間は2014年3月14日に列車の運行が終了、同7月1日に廃止されました。このレポートは現役時代に調査・執筆したものです。
Googleマップで地図を見る王子駅~北王子駅間 13:46
王子駅のホームに降りると、京浜東北線南行の線路の向こうにもう1つの線路があります。これが田端信号場駅と北王子駅を結ぶ東北本線の貨物支線、通称「北王子線」です。北王子線は王子駅付近まで本線と並走するので、今回は王子駅からを調査します。
駅前から線路沿いに北上すると、東北新幹線の高架下に非電化単線の北王子線線路が見えてきます。
王子駅付近では線路は築堤の上にあり直接目で確認することは出来ませんが、500mほど行くと歩道橋があり上から線路を見ることができます。とはいえ東北新幹線の高架橋で見通しは悪いです。
歩道橋のすぐ先で線路は本線と離れ、右に曲がります。その付近には入換信号機が設置されています。北王子線は入換扱いで運転されているため信号機も入換信号機なのですが、今回調査した限りでは北王子駅の信号機はここだけです。この信号機が北王子駅の出発信号機相当と思われます。
カーブの先に最初の踏切である第一宮江町踏切があります。踏切から王子駅方を見ると先ほどの入換信号機や歩道橋があります。
さらに第二宮江町踏切に進みます。1971年まではこの付近から右方向に「須賀貨物線」が分岐していました。詳細は後述します。
奥に見える木の絵が描いてある巨大な建物は、日本製紙物流北王子倉庫です。東北新幹線の車窓からも見ることができ、ご存知の方も多いのではないのでしょうか。北王子線は、宮城県の石巻港駅から発送されてこの北王子倉庫に到着する紙を輸送しています。
北王子駅 14:01
さらに2つ先の第二北王子踏切が北王子駅の入り口となります。
残念。祝日ということで列車の運転はないようです。しかし、仮にもJRの駅が列車の運転がないからといって柵で閉鎖されるとは……。北王子線はもともと王子製紙王子工場(現在の日本製紙物流北王子倉庫)の専用鉄道で、須賀線沿線に陸軍施設が建設されたために国有化された経緯があります。現在でも北王子駅では北王子倉庫到着の貨物のみを取り扱っていて、事実上の専用線となっています。とはいえ、専用線のままだったら国鉄改革で廃止されていたでしょうから、国有化で今まで生き残ることができたと言えるでしょう。
北王子駅(2012年9月6日) 10:36
さて、このまま駅が閉鎖されているところで終わると配線略図に書く事がなくなってしまうので、前回訪問時(平日)の様子を紹介します。なお、HP開設以前の訪問でレポートを書くことを想定していなかったため、写真が少ないのはご了承ください。
この時も王子駅から歩いて10時30分頃に北王子駅につきましたが、着いて早々踏切が鳴り入換が始まりました。
まず建物脇の荷役線からスイッチャーがコンテナ車を引き出します。スイッチャーは日本通運所有で、貨車は19Dコンテナを満載したコキ50000形です。数年前までワム80000形有蓋車を使っていた名残でコンテナ車を直接ホームに据え付けて荷役をしているため、見かけ上はコンテナをフル積載しています。
貨車は一旦王子方に引き出されたあと、一瞬停まってすぐに戻り始めました。えっ、と思ってよく見ると、操車掛の方が素早くポイントを切り替えていたようです。そして貨車は構内端の線路に押し込まれ、停まっていた別の貨車に連結されました。
スイッチャーが貨車と切り離されている間に構内の配線を見てみます。最右に荷役線があり、その左に側線が4本あります。もちろん北王子倉庫以外の貨物を取り扱うための荷役線はありません。どうでもいい話ですが、ポイントが1つ両開きになっています。両開きポイントは配線略図には書きづらいのであまり好きではありません。
構内には合わせて3台もスイッチャーがあります。一日数往復しか発着がない貨物駅にしては多すぎるようにも思います。
さて、貨車を切り離したスイッチャーは一旦手前に引き上げ、右から2本目の線路に入って白いスイッチャーの手前に停まりました。写真を見てわかるとおり、スイッチャーがトングレール(ポイントではなく)を通過した瞬間にポイントが戻されています。ここまで来ると脱線事故の危険もあるような気もします。
須賀貨物線廃線跡 14:03
さて、北王子駅を後にして須賀線の廃線跡を少したどってみます。もっとも途中までですが。
須賀線は北王子線と同じく東北本線の支線で、大日本人造肥料(現在の日産化学工業)の専用鉄道として建設されました。そして、前述の通り陸軍の弾薬庫が沿線に建設されたため国有化され、また安全のため蓄電池式機関車による運転が始まりました。しかし、当時の技術では満足な性能が得られなかったようで、数年後には須賀線は電化されて機関車も普通の電気機関車に改造され、1971年の廃止までこの状態が続きました。本線用の蓄電池動力車は2009年のE995系による試験開始まで待たなければなりません。
廃線跡の話に戻ると、先ほどの写真の場所で須賀線は北王子線と別れ、右へ曲がります。線路敷は道路になっていて、間の三角地帯は児童公園になっています。
40年以上前に廃止された須賀線ですが、その名残が全くないわけではないようです。今回見つけたのがこれです。
何か期待した方には申し訳ありませんでした。ただの遊具です。しかし前述したように須賀線は昭和初期に無煙化されていますし、そもそも営業用客車の入線実績はないと思われます。まあ遊具に文句を言っても仕方ないのですが。
カーブを曲がると道路は2車線になり、直進します。歩道もある立派な道路で、とても40数年前まで凸型電機が貨車を牽いて走っていたとは思えません。
200mほど進むと北本通りとの交差点に至ります。この北本通りには都電27系統が走っていて、須賀線と平面交差していました。直流1500V電化の須賀線と直流600V電化の都電がどうやって交差していたのか不思議ですが、須賀線廃止の翌年となる1972年11月に都電もバス転換されたため、真相は不明です。ちなみに、この27系統の三ノ輪橋~王子駅前間は現在の都電荒川線です。
この先も線路跡はただの道路のようなので、今回はここで右に折れ、王子駅に戻ることにしました。都心の住宅街にこのような貨物線があるのはなかなか貴重な光景だと思います。廃止の噂もありますので、また訪れて貨車入換なども記録していきたいと思います。