垂井線が下り本線ではない理由

はじめに

先日Wikipediaの「垂井線」のページに、旧新垂井駅経由ではなく垂井駅経由が東海道本線の「下り本線」であるという記述が追加されているのを発見しました(本稿執筆時点)。

記事は1980年代のものを含む複数の文献を参照し、下り本線が垂井駅経由だと主張しています。垂井駅経由のルートが「本線」、旧新垂井駅経由のルートが「別線」だということ自体は、ある立場に立てば正しい記述です。しかし、以下に述べるように垂井駅経由が東海道本線の「下り本線」というのは誤りです。間違った記述を非難する意図はありませんが、この区間は書類上の区間や線路の名前が非常に複雑になっており、これ以上誤解が広がらないようこの記事を書いています。

そもそも垂井線とは

垂井駅付近配線略図

垂井線とは、東海道本線大垣~関ケ原間で上り本線に並行して敷設されている線路の通称です。この区間ではかつて上下本線が並行して敷設されていましたが、勾配が大きく非力な機関車では牽引できる両数に制限があったことから、戦時中に輸送力増強のため勾配を大きく迂回する線路が建設されました。その際、もともと下り本線であった線路は廃止されましたが、その後旧下り本線の敷地に改めて「垂井線」が敷設され、現在に至ります。「垂井線」が垂井駅を経由するのに対し、勾配を迂回する線路にはかつて新垂井駅が設置されていたものの、同駅は国鉄末期の1986年に廃止され現在は途中駅がありません。東海道本線の普通列車はすべて垂井線を経由し垂井駅に停車する一方、特急列車や貨物列車は旧新垂井駅経由の線路を経由しています。

この記事では、垂井線と旧新垂井駅経由の線路のいずれが「本線」であるのかについて議論していきます。

「本線」の定義

まず、日本語で「本線」という場合、いくつかの意味があります。

①路線の代表的な区間としての「本線」
東北本線のように東京~盛岡間のほかに赤羽~大宮間、岩切~利府間など複数の区間をもつ路線において、最も距離の長い区間を代表的な区間として「本線」と呼ぶことがあります。対義語は「支線」「枝線」「別線」などとなります。
②線路の種類としての「本線」
列車の運転に常用される線路」すなわち、ある駅から他の駅に向けて走行する列車の運転に使用される線路のことを指します。法令で使用される「本線」の用語はこの意味で使われています。下で説明する「本線」のほか、「副本線」「下り1番線」などの名前で呼ばれている線路も多くはこの意味の「本線」に該当します。対義語は「側線」です。
③線路の名前としての「本線」(※「線路名称」とは異なります)
鉄道を安全に運行するにあたり輸送指令と乗務員の間など係員間の意思疎通を円滑にするため、線路に名前を付けておくと便利です。例えば、ある駅構内に3本の線路がある場合、「下り本線」「中線」「上り本線」「下り本線」「上り本線」「上り1番線」のように名前を付けることが多いです。駅構内における「上り本線」「下り本線」などは主本線と、それ以外の線路のうち線路の種類としての「本線」である線路は副本線と呼ばれることもあります。基本的に、「下り本線」などというときの「本線」は必ずこの意味となります。
なお、駅構外の複線区間の線路は「下り線」「上り線」と呼び、「本線」とは呼ばないことがありますが、後述のとおり南荒尾信号場~関ケ原間では駅間の線路に「上り本線」「下り本線」という名前が用いられる例があります
④その他
「東海道本線」「東北本線」という時の「本線」など、このほかにも「本線」の用法がありますが割愛させていただきます。

結論から申し上げると、先のWikipediaの記事(本稿執筆時点)ではこの「本線」という言葉の複数の用法を混同しているように感じます。この点について詳細は後述しますが、まず①路線の代表的な区間としての「本線」から見ていきます。

東海道本線の「本線」は垂井駅経由か、旧新垂井駅経由か

この章では、「本線」という用語を①路線の代表的な区間としての「本線」という意味で使用します。

件のWikipedia冒頭には、このような記述があります(本稿執筆時点)。

国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称および国土交通省監修の『鉄道要覧』では、民営化後の今日に至るまで一貫して垂井駅経由が東海道本線の「本線」である[2][3][4]。

Wikipedia 垂井線より

しかし、これは部分的に不正確な記述です。JTB刊『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』から、本当の国鉄時代の日本国有鉄道線路名称を引用すると次のようになっています。

東京・神戸間、品川・新川崎・鶴見間、東京・新横浜・岐阜羽島・新神戸間、品川・浜川崎・鶴見間、鶴見・横浜羽沢・戸塚間、鶴見・高島間、大垣・美濃赤坂間及び貨物支線

日本国有鉄道線路名称(1987年3月31日) JTB刊『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』より

上記の通り、垂井駅経由・新垂井駅経由の両ルートともに明示されておらず、「東京・神戸間」が両方のルートを含む形で記載されています。実は、新垂井駅経由のルートが線路名称上で初めて明示されるのは民営化時に定められたJR東海線路名称公告が初出となります(下記)。

熱海・米原間、東京・新横浜・岐阜羽島・新大阪間、名古屋・西名古屋港間、大垣・関ケ原間及び大垣・美濃赤坂間

JR東海線路名称公告(1987年4月1日) JTB刊『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』より

したがって、「国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称……では、民営化後の今日に至るまで一貫して垂井駅経由が東海道本線の『本線』である」という記述は、国鉄時代に関しては誤りとなります。なお、同じ国鉄の公式資料である『停車場一覧』では新垂井駅経由のルートを別線として記載しているものもあるようですが、年度によって取扱いが異なっていてはっきりしないようです。

なお、『鉄道要覧』や前身の『民鉄要覧』にJRの路線が掲載されるようになったのは国鉄の分割民営化後ですが、それ以降の鉄道要覧において旧新垂井駅経由のルートが別線扱いされているのはWikipediaの記述の通りです。

さらに、Wikipedia本文では触れられていませんがJR東海が国土交通省に提出している「事業基本計画」では、東海道本線の区間は次のように記載されています。

熱海~米原
大垣~関ケ原(垂井経由)
名古屋~西名古屋港
大垣~美濃赤坂

JR東海事業基本計画(1987年4月1日) JTB刊『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』より

旧新垂井駅経由のルートが「東京~神戸」に含まれており、別に垂井駅経由のルートが「大垣~関ケ原」として記載されています。事業基本計画の立場に従えば、旧新垂井駅経由のルートが①路線の代表的な区間としての「本線」、垂井駅経由のルートが「別線」ということになります。

このように、垂井駅経由、旧新垂井駅経由のどちらのルートが①路線の代表的な区間としての「本線」にあたるか、というのはどの文献にしたがって路線の区間を決めるかによって変わります。線路名称公告に従う立場では、たしかに垂井駅経由のルートが①路線の代表的な区間としての「本線」、旧新垂井駅経由のルートが「別線」ということになります。

「別線」なのに「下り本線」である理由

上記の議論は、垂井駅経由の線路(垂井線)と旧新垂井駅経由の線路のどちらが下り本線であるかというのとは全く別な話です。なぜかというと、先ほどの「本線」の定義を思い出していただきたいのですが、前章で議論していた①路線の代表的な区間としての「本線」と、「下り本線」という時の③線路の名前としての「本線」は同じ言葉の全く異なる用法だからです。

分かりにくいと思う方は、別な路線で考えてみてください。東北本線の日暮里~王子間には田端経由、尾久経由の2つのルートが存在します。このうち、線路名称公告・事業基本計画とも田端経由のルートが東京~盛岡間の一部、すなわち①路線の代表的な区間としての「本線」、尾久経由のルートが「別線」として扱われています。ところが、尾久経由の線路が東北本線の上下本線、すなわち③線路の名前としての「本線」であることは誰の目にも明らかです。

線路の名前は、両方向の線路が分岐する南荒尾信号場の場内信号機に記載されています。場内信号機の記載内容は次のようになっています。

南荒尾駅下り場内信号機

垂井駅経由の線路が「垂(井線)」、旧新垂井駅経由の線路が「東(海道本線)」すなわち③線路の名前としての「本線」である下り本線として扱われていることが分かります。信号機の上下の位置関係を見ても、旧新垂井駅経由の線路が垂井線より格上に扱われていることが分かります。また、こちらのサイトに掲載されている1992年時点での配線図においても旧新垂井駅経由の線路が「東海道下本線」、垂井駅経由の線路が「垂井線」と記載されています。

すなわち、まとめると次のようになっています。

経由①路線の代表的な区間としての本線(線路名称公告基準)③線路の名前としての本線
垂井駅経由路線の代表的な区間としての「本線」垂井線
上り本線
旧新垂井駅経由別線下り本線
垂井線と下り本線

すなわち、旧新垂井駅経由のルートは①「別線」であり、そこに敷かれている線路は③「下り本線」で、垂井駅経由のルートは①路線の代表的な区間としての「本線」であり、そこに敷かれている線路は③「垂井線」及び「上り本線」であるということになります。

さらにややこしい話

ちなみに、この区間の上下本線、垂井線はすべて、上で記載した「本線」の②番目の定義である線路の種類としての「本線」にあたります。ややこしいですね。

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