西濃鉄道昼飯線は、東海道本線支線の美濃赤坂駅と美濃大久保駅・昼飯駅を結んでいました。1989年頃から貨物の出荷がなくなり、2006年に正式に廃止されましたが、2021年現在でも多くの区間でレールや標識などが残っています。
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美濃赤坂駅線路終端
昼飯線は2006年に廃止されていますが、美濃赤坂駅構内の線路は大部分が残っています。実は、 前回
の記事に掲載した前面展望にも廃線跡の線路が写っています。
こちらの動画に写っている、左方向へ分岐していく線路が昼飯線の線路でした。美濃赤坂駅構内からは一旦引上げ線に入り、折り返して有蓋緩急車(ワフ)を先頭に推進運転で入線していたようです。まずは、この付近の踏切に来てみました。
前回
の記事に記載した通り、旅客ホームから貨物ホームを挟んだ反対側が西濃鉄道の列車が発着する線路となっています。
一部の分岐器の転轍機標識に黒いカバーがかけられ、使用停止されていることが分かります。列車数の減少や昼飯線の廃止で、美濃赤坂駅構内の多数の線路は手持ち無沙汰ぎみです。
左側は旧昼飯線の廃線跡である線路がのびていますが、その途中から分岐しているのが西濃鉄道の機関庫の線路です。古めかしい機関庫は中が薄暗く、様子をうかがうことができません。
反対側を向くと、昼飯線の列車の運転にも使用されていた引上線があります。美濃赤坂駅では現在でも市橋線からJRに直通する貨車の入換作業が行われていますが、この引上げ線は使用されないようで線路が錆びてしまっています。
線路沿いに少し進み、昼飯線の踏切跡に来ました。標識類はすべて撤去されていますが、道路を横切るレールはそのままです。
ちなみに、1枚目背景に写っているのが石灰石鉱山のある金生山です。露天掘りで石灰石の採掘が行われ、山容が著しく変貌しています。かつて西濃鉄道昼飯線は、金生山で産出した石灰石を輸送していました。
さて、この踏切で特徴的なのが現存している昼飯線の場内信号機です。
貨物輸送終了から32年、廃止から15年経過した現在でも点灯しています。ふつう使用停止された信号機は通電を停止されるものですが……。しかも、どうみても白熱電球の信号機なのですが、15年も電球を交換せずに点灯し続けるものなのでしょうか。まさか、現在でも定期的に電球を交換しているのでしょうか……。
踏切の先は一部レールが撤去されています。……ではなく、枕木から外されて左側に寄せられているだけのようです。なんとも中途半端な状態になっています。
切り通し
しばらく進むと昼飯線をまたぐ道路橋が現存しています。道路橋の上からは線路を見下ろすことができ、趣味者には有名な撮影地だったようです。
この付近では2本のレールがそのまま残っています。いずれ撤去される予定なのかもしれませんが、それにしても撤去の仕方が中途半端なように感じます。
さらに進むと再び踏切があります。
「ふみきり ちゅうい」の看板が残っていますが、廃止された踏切で何に注意しろというのでしょう……。線路もアスファルトに埋められてしまっているようですし。
美濃大久保駅跡
さらに進み、旧中山道と交差する踏切跡です。線路はこの踏切を境に撤去され、この先は更地となっていました。
旧中山道の先に美濃大久保駅がありました。駅入り口の踏切跡は、線路の上にそのままアスファルトを被せた状態になっているようです。前後のレールは撤去されましたが、この踏切跡だけ残っているのが分かります。
駅構内はすでに更地となっています。かつての構内配線は昼飯方面、美濃赤坂方面からの線路が合流した先に行き止まりの線路が3本ありました。美濃赤坂駅からの列車は同駅で折返して昼飯方面へむかっていました。美濃大久保駅の構内配線は、資料が正しければ機回しができるような渡り線がなく、このため前述の通り列車の一部は推進運転で運転されていました。
構内の線路は撤去されていますが、よく見ると車止標識が残っています。また、貨物ホームや倉庫と思われる建屋も残っていることが確認できました。なお、昼飯線では旅客営業は行われていなかったため、旅客ホームなどの設備の跡は存在しません。
昼飯駅跡
続いて昼飯駅へ向かいます。前述した通り昼飯線は美濃大久保駅でスイッチバックする線形で、線路は右方向へ大きくカーブして昼飯駅を目指します。この箇所も小さな丘を切通したような地形になっていますが、左側の斜面にびっしりと並べられているのは枕木でしょうか。
旧中山道を迂回して昼飯駅に向かいます。写真は、カーブの先で線路が旧中山道と平行となったあたりです。昼飯駅の側線群はさらにカーブした先にありますが、この写真のあたりにも荷役ホームがあったようです。道路に向かって屋根を張り出している建屋がその名残でしょうか。
昼飯駅構内を横断していた踏切跡にやってきました。こちらも標識類は撤去されていますが、「線路内立入禁止」の看板が残っていました。
昼飯駅構内には線路が4本ありましたが、現在はすべて更地になっています。僅かに残っている石組みはホーム跡でしょうか。
トロッコ線路跡
ここまでが昼飯線の廃線跡でしたが、実は前回ご紹介した『RM LIBRARY99 西濃鉄道』によると石灰石鉱山から昼飯駅付近の工場までトロッコが走っていたようです。
どこを通っていたのか探してみたのですが、既に撤去から30年以上経過しているということもありよく分かりませんでした。下写真に写っているうち左の水平に延びている道路がそれではないかと思いますが、確証はありません。
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