西濃鉄道市橋線は、東海道本線支線の美濃赤坂駅と乙女坂駅・猿岩駅を結んでいます。かつては猿岩駅のさらに先にあった市橋駅に乗り入れていましたが、この区間は2006年に廃止されました。このほか、美濃赤坂駅と昼飯駅を結んでいた昼飯線(2006年廃止)についてもレポートします。
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列車の運転時刻は?
西濃鉄道では、沿線で産出される石灰石を専用貨車で出荷するための貨物列車が1日3往復運転されています。同社で輸送している石灰石は全量が沿岸部にある日本製鉄名古屋製鉄所で製鉄原料として使用されます。石灰石を積載した貨車は美濃赤坂駅でJR貨物の貨物列車に継走され、さらに笠寺駅から名古屋臨海鉄道に入り、南港線名古屋南貨物駅手前から分岐する日本製鉄名古屋製鉄所専用線に到着します。
西濃鉄道の貨物列車の2016年時点での運転時刻が運輸安全委員会が公表している2016年の脱線事故の事故調査報告書に記載されています(下記)。
さらに、最新の運転時刻が鉄道貨物協会発行の貨物時刻表に記載されています。2020年版以降列車番号が変更になっているほか、夕方の便が往復とも20~30分程度繰り下げられているようです。
西濃鉄道市橋線貨物列車時刻表(2016年時点) 運輸安全委員会鉄道事故調査報告書より下り | 上り |
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列車番号 | 美濃赤坂 | 乙女坂 | 列車番号 | 乙女坂 | 美濃赤坂 |
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1021レ | 6:09 | 6:14 | 1022レ | 8:25 | 8:30 |
1025レ | 11:33 | 11:38 | 1026レ | 14:15 | 14:20 |
1023レ | 15:44 | 15:49 | 1024レ | 17:57 | 18:02 |
ただし、私が現地を訪問した限りこの時刻表の通りに列車は運転されていないようです。実際、上記事故調査報告書には「同社では、列車への貨物の積込み状況に応じ、早発を許容している」とあります(貨物列車なので時刻表の時刻より早発させても違法になりません)。
一方で、後述する石引神社参道付近の踏切には列車の運転時刻について下記のような掲示があります。
- 朝6時頃と8時頃
- 昼11時30分頃と13時30分頃
夕15時25分頃と17時40分頃(※後述)
普段列車が運転されない日曜日に列車が通過するという旨の掲示だと思いますが、時刻表より数分~数十分程度早い時刻が記載されています。おそらく、こちらのほうが実際に列車が運転される時刻に近いのではないかと思います。
なお、「夕15時25分頃と17時40分頃」の列車がマジックで塗りつぶされていますが、これは列車自体が廃止となったという意味ではなく単に日曜日の運転が行われなくなったという意味だと思います。また、前述の通り近年夕方の便は往復とも時刻表上の時刻が繰り下げられていますので、実際の運転時刻も上記掲示から変わっている可能性があります。
美濃赤坂駅
美濃赤坂駅は東海道本線支線の終着駅です。「東海道本線」といっても支線なので、2両編成ワンマンの普通列車から下車した乗客は数人程度。駅も無人駅です。ただし、構内には貨物ホームや広大な側線群が広がっており、かつて一帯で産出する石灰石を輸送する貨物駅としての繁栄を伺わせます。
美濃赤坂駅の開業は1919年と古く、歴史を感じさせる倉庫等も構内に設置されています。
駅前には西濃鉄道本社もありました。列車の運転日ではあったのですが、土曜日とあって本社に人気はありませんでした。
さて、駅前の道路を回り込んで貨物側線を観察します。駅構内に旅客ホームは片面ホームが1つのみですが、このほかに貨物ホームが1面あり、側線が多数設置されています。貨物ホームは現在使用されていないようです。なお、側線の分岐器の一部は使用停止されているようで、転轍器標識や信号機の一部にカバーがかけられています。
なお、1945年まで市橋線から東海道本線経由で大垣駅へ直通するガソリンカーが運転されていましたが、構内配線から明らかなように市橋線方面から東海道本線の旅客ホームに乗り入れる場合は引上線でスイッチバックする必要がありました。このため、直通列車は美濃赤坂駅を通過していた時期もあったようです。
貨物ホームには古めかしい屋根が設置されています。これは、美濃赤坂駅で生石灰を貨物として取り扱っていたためだと思われます。生石灰は石灰石を高温で焼成することで生産され、製鉄原料やセメント原料等に使用されます。水と反応して激しく発熱する性質があり、輸送時も水に触れないよう細心の注意を払う必要がありました。荷役は屋根付きの場所で行われたほか、防水や万一輸送中に発熱した場合の発火防止のため、木製の内張りのない鉄製有蓋車に積載されていました。参考のため、秩父鉄道テキ117(三峰口駅旧秩父鉄道車両公園、2019年解体)の写真を下に掲載します。
構内東側の側線が西濃鉄道市橋線の列車の発着やJRとの貨車の受け渡しに使用されています。訪問時はJR側の貨物列車を牽引するEF64型電気機関車が待機していたほか、秋田臨海鉄道から譲渡されたばかりのDE10 1251が留置されていました。
乙女坂駅へ
しばらく進むと、本町踏切で旧中山道と交差します。この本町踏切は中山道の宿場である赤坂宿の流れをくむ大垣市赤坂町の中心に位置しており、周辺には旧家が立ち並びます。踏切の南側(美濃赤坂側)にはかつて赤坂本町駅が設置されており、1935年に市橋~赤坂本町間の旅客営業が廃止されてからは旅客列車の終着駅となっていました。現在でもホーム跡と思われる石組みが残っています。
この付近の線路には正式な踏切のほかに、遮断機や標識のない勝手踏切がいくつか設置されていました。列車が1日3往復しか設定されておらず、また近くの本町踏切に警報機が設置されているので安全上問題ないということなのでしょうか。
と、ここでちょうど本町踏切の警報機が鳴り始め、しばらくして上り1022列車がやってきました。列車は石灰石を満載した矢橋工業所有のホキ2000形・ホキ9500形貨車を連ねてゆっくりと通過していきます。1022列車は定刻では乙女坂駅を8時24分に発車しますが、この日に列車が本町踏切を通過したのは8時5分でしたので、やはり恒常的に列車が早発しているのでしょう。
しばらく進むと線路は山沿いに向かって左にカーブします。奥に見えるのは汽笛吹鳴標識ですが、錆のため黒ずんでいてかなり視認しづらくなっています。
ちなみに、上で紹介した鉄道事故調査報告書が作成された2016年の脱線事故の際は、このカーブで貨車が脱線したそうです。原因は保線作業の不備によりもともと軌間変異が大きかったことに加え、枕木の老朽化と犬釘の浮き上がりでレールの支持力が低下したところを列車が走行して軌間変異がさらに拡大したためだとされています。軌間市橋線の線路の枕木はほとんど木製ですが、この事故を受けて交換されたのか大半が真新しいものとなっていました。
その先で左へカーブし線路は再び北を目指しますが、そのカーブのあたりに石引神社参道と交差する有名な踏切があります。鳥居と鳥居の間に踏切があるというのは珍しい光景です。警報機や遮断機はついていませんでしたが、むしろ神社の参道に警報機があったら雰囲気が台無しだったでしょうね。
踏切から乙女坂方の線路の写真を撮影しました。線路の両側に一見ホーム跡に見える構造物がありますが、この付近には駅は存在しなかったようです。
乙女坂駅
この付近から線路に並行する道路がなくなるため、近くの道路を迂回して乙女坂駅に到着しました。
乙女坂というかわいらしい地名とは裏腹に、この付近の道路は大型のダンプカー等が頻繁に通過するため、歩道のない道路を徒歩で通行する際や道路を横断する際は十分に注意してください。また、工場など私有地への無許可での立ち入りは論外ですが、工場によっては内部の写真撮影を禁止している場合もあります。本記事で写真を掲載している箇所で写真撮影が禁止されていないという保証もできませんので、現地での写真撮影には十分にご注意ください。
乙女坂駅では、矢橋工業乙女坂工場から石灰石が発送されています。構内には線路が2本あり、2本ある線路のうち道路側が本線、山側が工場の荷役線等がある側線ということになっています。もっとも、現在市橋線で貨物を扱っているのは乙女坂駅付近の線路両側に工場を構える矢橋工業1社のみであるため、列車は同社の荷役線がある山側の線路に直接発着し、道路側にあるかつての「本線」は機回し線の役割に甘んじているようです。転轍機標識も直進側の「本線」へ向かう方向が定位とされていますが、写真で分かる通り分岐側の「側線」が事実上の定位として運用されているようです。
構内に設置されている分岐器は転轍機標識が新品なうえ、枕木も合成樹脂製が使用されていました。バラストに雑草も生えていないので、つい最近交換されたものと思われます。なお、記事執筆時点でGoogleストリートビューには交換前の古い分岐器が写っていました。
ちなみに、かつては山側にもう1つ荷役線がありました。現在もレールと無蓋貨車のアオリ戸の高さに合わせた高床の荷役ホームが残っています。
再び公道を迂回して乙女坂駅北方に向かいます。途中、西濃鉄道で石灰石を発送している矢橋工業の工場が両側に広がります。構内には石灰石でしょうか、大量の鉱石が野積みにされています。
この道路も石灰石を満載したダンプカーがひっきりなしに通過しており、そのたびに道路に積もった粉塵が舞い上がります。ライターの所澤秀樹さんが著書『鉄道地図は謎だらけ』の中で「こんなところにいたら、鼻毛が伸びるのも速いかもしれない」と冗談交じりに紹介されていたのが記憶に残っていますが、実際に訪問しているとまさにその通り……。沿道の企業や自治体もまったく対策をしていないわけではないようで、いくつかの工場には注意書きの看板が設置されていました。
乙女坂駅北方へたどり着きました。この付近から再び線路が道路と並行し、観察が容易になります。この付近にはかつて渡り線が設置されていましたが、現在はクロッシング部が撤去されトングレールとクロッシング部の逆側のレールに取り付けられていたガードレールが残っています。石灰石貨物列車は大型のホッパ車が最大二十数両編成連なることから、有効長の関係上この位置の分岐器は入換作業に使用できないのでしょう。
前述した通り、2本ある線路のうち道路側が本線、山側が工場の荷役線等がある側線となっています。かつて沿道の多数の工場を発着する貨物を輸送していた頃の入換作業の様子を清水武氏が『RM LIBRARY99 西濃鉄道』の中で次のように述懐しています。
基本的には美濃赤坂駅から機関車を先頭に到着車(殆どは空車)を牽引して発車。乙女坂駅までは列車として運転し、乙女坂駅のヤードで貨車を到着駅順に再整理し、そこから山沿いにある荷主の荷扱いホームが連続する側線側を進む。進行しながら後部の貨車を切り離していく。同時に機関車の前には積車となった発送車を連結推進して行く。市橋駅では多少の入換作業を行い、美濃赤坂駅まで戻ってくるのがパターンだった。良く考えられた配線と思う。
清水武著 『RM LIBRARY99 西濃鉄道』より。絶版ですが、電子書籍版(楽天Kobo)で入手しました。
限られた敷地内で、効率的に入換作業を行っていたようです。列車掛は機関車の前後に何両も連なった貨車の先頭と最後部を行き来し、連結や解放を繰り返すのに多忙だったことでしょう。
猿岩駅
上の写真から後ろを振り返ると、見える渡り線はすでに猿岩駅の構内です。渡り線が2つ連続したのち上田石灰製造市橋工場のホッパ車への積込み設備がありますが、既に使用されていないようです。ただし、書類上駅はまだ廃止されておらず、渡り線のうち1つは乙女坂駅を発着する列車の入換(機回し)のため現在も常用されています。
手前側にある現役の渡り線の付近に建屋付きの荷役ホーム跡があります。こちらからも生石灰などが発送されていたのでしょうか。
1つ目の渡り線の先に車止めがあり、その先の線路は草に覆われます。草むらの中にある渡り線のクロッシング部は撤去されているようです。しつこいようですが、この付近にも建屋のついた荷役ホーム跡があります。
上田石灰製造市橋工場の横にホッパ車へ石灰石等を積み込む設備があります。線路の直上に吐出口があり、貨車の上に金属製の漏斗をスライドさせて鉱石を積み込むようです。
市橋駅
上田石灰製造建屋を過ぎたところから線路が完全に撤去されています。かつては3本に分かれた線路が2本に収束する箇所までが猿岩駅構内で、その先の渡り線以降が市橋駅構内でした。市橋駅では沿道にある清水工業市橋工場(構内撮影禁止)の貨物を取り扱っていました。線路跡は同社の倉庫に転用されていました。
さらに進むと、これもホッパ車への積込み設備と思われるコンクリートの構造物が見えてきました。既に使用されなくなってから年月が経過し、緑に覆われています。
線路跡が道路に沿ってカーブした先が市橋駅でした。構内には側線が4本ありましたが、現在線路の大半は撤去されているようです。公道から見える範囲では、枕木と手動転轍機の一部が残っているようです。
駅跡地には木造の古い建屋が建っていました。駅が営業していた頃からあったもののようなので、倉庫として使用されていたのでしょう。
このほか、帰宅してから気づいたのですが上の画像の奥に見える高い柵の中に線路が残っているのが航空写真に写っていました。現地ではどこまでが公道でどこからが私有地なのかはっきりしなかったので柵の近くまで立ち入りませんでしたが、少々後悔しています……。
後半「西濃鉄道昼飯線」は後日公開予定です!
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