貨物線9

秩父鉄道武甲線廃線跡

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秩父本線と分岐 PM3:15

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続いて武甲線の廃線跡をたどってみます。セメント専用線の分岐部に戻ってみましょう。

武甲線・秩父本線分岐部

セメント専用線が左に分岐した先で、秩父本線は右に曲がり、武甲線は直進しています。秩父本線が坂を下っていくのに対し、武甲線は緩やかな勾配を登っていきます。

歩道橋の上から
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前の写真の歩道橋まで進んでみます。廃線跡は秩父札所巡りの参道になっていて、線路は残っていなさそうです。緩やかな上り坂が鉄道の雰囲気を残しています。

影森駅方

陸橋の上から影森駅を振り返ってみます。手前の電化柱は見たことのない形をしていますね。……ん?

レールが現れた

線路が残っていましたね……。車止めも何もなく、ぷっつりと途切れた線路。この地点から先のみが道路として自治体に用地売却されたため、線路が撤去されたのでしょう。草に埋もれてよく分かりませんが、ひょっとすると未だに影森駅から線路が続いているのでしょうか。秩父鉄道恐るべし。

先に続く線路跡

廃線跡をさらにたどってみましょう。

琴平ハイキングコース PM3:15

ハイキングコースの看板

廃線跡は琴平ハイキングコースとして整備され、秩父札所の観音巡りのコースとなっています。地図の「現在地」が明らかに違っているのはさておき、ハイキングコースを進んでみます。

なお、写真右側の平地は歩道(秩父札所の参道?)の旧道と思われます。貨物線の線路に平行して参道が通っていたとは……。

左にカーブ

カーブの途中で写真を1枚。そろそろお昼時で、電化柱に付けられた「甚太郎そば」の看板に心ひかれます。……電化柱?!

レール製電化柱

今度は古レール製の電化柱を発見。レールでできた電化柱自体は秩父本線にもたくさん残っている(秩父鉄道の経営事情が心配になってきます)のでそれほど珍しいものではありませんが、なぜ遊歩道に残っているのですかね……。

レール刻印 CARNEGIE
レール刻印 1912

せっかくなので、レールの刻印を見てみましょう。レールは1912年、米国の鉄鋼大手Carnegie社製でした。秩父鉄道の影森延伸が1917年、武甲線開業が1918年ですので、その当時のレールということになります。

レール刻印 50

50kgレールのようです。貨物鉄道らしく、当時としては重いレールを使っていたようです。

レール刻印

よく意味がわからない刻印も。確か鋼鉄の成分表示だったような気がします。

レール刻印 120 MARYLAND

こちらはMaryland社製。2本のレールの底は、リベットでつなげているようです。

影森駅方
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カーブを抜けて振り返ってみます。石垣の上が廃線跡、下が旧道です。旧道は落石や路盤崩壊が散見され、通行止めになっていました。

道端にレールが放置

その先の道端には……。いやもう何が起こっても驚かないよ? レール撤去時に2本のレールをきちんと軌間幅に並べ、上に枕木を積んだ工事業者は何がしたかったのでしょうか。

轍のある道は川の対岸へ

この場所で秩父札所の参道などが分岐するので、道は未舗装になります。この先に武甲駅の跡があるはずです。

草が生い茂る廃線跡

武甲駅跡 PM3:15

いよいよ武甲駅があったと思われる場所に近づいてきました。前方には、思いがけない光景が広がっていました。

武甲駅跡は砕石の山に

……平地が……無い。白い物体(石灰石? 砕石?)が山のように積まれています。これ以上進むのは危険と判断し、隣を走る車道から観察を試みます。

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道路から見ると、驚きの光景が広がっていました。生い茂る木々の間からなんとか撮影したのが下の写真です。

山頂から続々と石灰石が運ばれる
石灰石の山の手前は気味が悪い色の池

駅があったと思われる場所には大量の石が集積されています。山頂の方からベルトコンベアで運ばれ、ここでトラックに積み替えられる模様です。集積場の手前には毒々しく濁った池があります。こちらも奥の方から湧出する水を溜めていました。

武甲線跡の調査は以上になります。ご覧いただきありがとうございました。武州原谷駅、三峰口駅の調査も行いましたので、気が向けばレポートを書こうと思っています。

※ 写真は全て踏切または公道などから撮影。

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調査日
2015年3月24日
公開日
2015年8月1日
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