Googleマップで地図を見る秩父本線と分岐 PM3:15
続いて武甲線の廃線跡をたどってみます。セメント専用線の分岐部に戻ってみましょう。
セメント専用線が左に分岐した先で、秩父本線は右に曲がり、武甲線は直進しています。秩父本線が坂を下っていくのに対し、武甲線は緩やかな勾配を登っていきます。
前の写真の歩道橋まで進んでみます。廃線跡は秩父札所巡りの参道になっていて、線路は残っていなさそうです。緩やかな上り坂が鉄道の雰囲気を残しています。
陸橋の上から影森駅を振り返ってみます。手前の電化柱は見たことのない形をしていますね。……ん?
線路が残っていましたね……。車止めも何もなく、ぷっつりと途切れた線路。この地点から先のみが道路として自治体に用地売却されたため、線路が撤去されたのでしょう。草に埋もれてよく分かりませんが、ひょっとすると未だに影森駅から線路が続いているのでしょうか。秩父鉄道恐るべし。
廃線跡をさらにたどってみましょう。
琴平ハイキングコース PM3:15
廃線跡は琴平ハイキングコースとして整備され、秩父札所の観音巡りのコースとなっています。地図の「現在地」が明らかに違っているのはさておき、ハイキングコースを進んでみます。
なお、写真右側の平地は歩道(秩父札所の参道?)の旧道と思われます。貨物線の線路に平行して参道が通っていたとは……。
カーブの途中で写真を1枚。そろそろお昼時で、電化柱に付けられた「甚太郎そば」の看板に心ひかれます。……電化柱?!
今度は古レール製の電化柱を発見。レールでできた電化柱自体は秩父本線にもたくさん残っている(秩父鉄道の経営事情が心配になってきます)のでそれほど珍しいものではありませんが、なぜ遊歩道に残っているのですかね……。
せっかくなので、レールの刻印を見てみましょう。レールは1912年、米国の鉄鋼大手Carnegie社製でした。秩父鉄道の影森延伸が1917年、武甲線開業が1918年ですので、その当時のレールということになります。
50kgレールのようです。貨物鉄道らしく、当時としては重いレールを使っていたようです。
よく意味がわからない刻印も。確か鋼鉄の成分表示だったような気がします。
こちらはMaryland社製。2本のレールの底は、リベットでつなげているようです。
カーブを抜けて振り返ってみます。石垣の上が廃線跡、下が旧道です。旧道は落石や路盤崩壊が散見され、通行止めになっていました。
その先の道端には……。いやもう何が起こっても驚かないよ? レール撤去時に2本のレールをきちんと軌間幅に並べ、上に枕木を積んだ工事業者は何がしたかったのでしょうか。
この場所で秩父札所の参道などが分岐するので、道は未舗装になります。この先に武甲駅の跡があるはずです。
武甲駅跡 PM3:15
いよいよ武甲駅があったと思われる場所に近づいてきました。前方には、思いがけない光景が広がっていました。
……平地が……無い。白い物体(石灰石? 砕石?)が山のように積まれています。これ以上進むのは危険と判断し、隣を走る車道から観察を試みます。
道路から見ると、驚きの光景が広がっていました。生い茂る木々の間からなんとか撮影したのが下の写真です。
駅があったと思われる場所には大量の石が集積されています。山頂の方からベルトコンベアで運ばれ、ここでトラックに積み替えられる模様です。集積場の手前には毒々しく濁った池があります。こちらも奥の方から湧出する水を溜めていました。
武甲線跡の調査は以上になります。ご覧いただきありがとうございました。武州原谷駅、三峰口駅の調査も行いましたので、気が向けばレポートを書こうと思っています。
※ 写真は全て踏切または公道などから撮影。
特集記事一覧へ