刑法「拘禁刑」改正で消えゆく鉄道営業法の戦後インフレの痕

※本記事では法律の話題を扱っています。本記事の内容はあくまで雑学の類としてとらえていただき、ご自身が現実に遭遇した事件については弁護士などの専門家にご相談ください。また、掲載している条文は記事執筆時点のものです。

はじめに

「侮辱罪」の罰則強化や「懲役」「禁錮」の刑を「拘禁刑」に統合する内容の刑法改正が2022年6月13日の参議院本会議で可決され、成立しました。この余波で、「鉄道営業法」のアノ部分も改正されることになりましたので今回ご紹介します。

「鉄道営業法」とは、鉄道に関して旅客と鉄道会社との契約関係や旅客が守るべきルールを定めている法律です。無賃乗車をしたり線路内にみだりに立ち入ったりといった場合の罰則が定められており、時折「鉄道営業法違反」で逮捕されるというニュースを目にすることがあります。

この「鉄道営業法」、原文をあたってみると不思議なことに気づきます。

鉄道営業法の罰則規定

自動改札機(イメージ)

鉄道営業法の罰則に関する規定をみると、罰金・科料の額が異常に低いということに気づきます。たとえば、無賃乗車などに適用されることのある29条の規定はこのようになっています。

第二十九条 鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ五十円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス
  1. 一 有効ノ乗車券ナクシテ乗車シタルトキ
  2. 二 乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ
  3. 二 乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ
鉄道営業法(明治三十三年法律第六十五号)より

罰金の額が、わずか50円以下と規定されています。この規定は、約120年前の1900年に鉄道営業法が制定された当初から罰金の金額が変わっておらず、その後の物価変動を反映していないためです。文語体の文面もさることながら、国鉄では1969年に廃止された等級制を想起させる「乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ」という規定もなかなか味わい深いです。

日銀の企業物価指数をもとにすると、明治時代の1901年の1円は現在の1490円に相当する(参考)とのことですので、これで当時の罰金50円を現代に換算すると7万4500円となります。当時は実効性のある罰金の額だったのかもしれませんが、現代では初乗り切符すら買えない金額です。

もちろん、現代において実際に鉄道営業法に違反した場合、罰金を数十円しか払わなくてもいいということではありません。太平洋戦争の敗戦に伴い急激なインフレにみまわれていた1948年に「罰金等臨時措置法」が制定され経済事情の変動に伴う罰金の額等に関する特例が定められており、現在は上記の「50円以下の罰金又は科料」は「2万円以下の罰金又は科料」として適用されています(参考)。

第二条 刑法(明治四十年法律第四十五号)、暴力行為等処罰に関する法律(大正十五年法律第六十号)及び経済関係罰則の整備に関する法律(昭和十九年法律第四号)の罪以外の罪(条例の罪を除く。)につき定めた罰金については、その多額が二万円に満たないときはこれを二万円とし、その寡額が一万円に満たないときはこれを一万円とする。ただし、罰金の額が一定の金額に倍数を乗じて定められる場合は、この限りでない。
 前項ただし書の場合において、その罰金の額が一万円に満たないときは、これを一万円とする。
 第一項の罪につき定めた科料で特にその額の定めのあるものについては、その定めがないものとする。ただし、科料の額が一定の金額に倍数を乗じて定められる場合は、この限りでない。
罰金等臨時措置法(昭和二十三年法律第二百五十一号)より

刑法改正の余波

国会議事堂(イメージ)

このように120年間ほとんど変わらなかった鉄道営業法の罰金・科料の規定が、2022年に成立した刑法改正の余波で改正されることになりました。この改正では懲役と禁錮の刑を「拘禁刑」に統合するのに伴い、様々な法律の罰則規定中の「懲役」などの文言が「拘禁刑」に変更されます。この「ついで」に、鉄道営業法など一部の法律の罰金・科料の額が現実に適用されている金額に変更されるようです。例えば、上記第29条は次のように変更されます。

第二十九条 鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ五十円二万円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス
  1. 一 有効ノ乗車券ナクシテ乗車シタルトキ
  2. 二 乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ
  3. 二 乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ
鉄道営業法(刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律344条による改正)

先ほど説明した通り、鉄道営業法の「五十円以下ノ罰金」は現実には2万円以下の罰金として適用されているため、単なる形式的な改正ということになります。法律に書いてある罰金の金額が文面通りに適用されていない現状はあまりにも分かりにくいので、必要な改正ではあると思います。とはいえ、日本の鉄道の長い歴史や戦後経済の波乱を今に伝える規定がなくなってしまうことには、一抹の寂しさを覚えるものです。

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